「まだ初夏なのに…」
「…」
「あーつーいーいーいー」
「はいはい」
陽射しが麗らかな初夏。
予報での気温は高めの26度。
それを見た慈郎の妹が笑顔で「ジローちゃんの温度だね」と言ったため、
慈郎の心は朝からほかほかした。
しかしそれも外に出れば話は別で、温かい気持ちすら暑苦しく感じるこの気温、湿度。
梅雨にはよく目撃する、くるくるふわふわドカンと爆発した頭で慈郎はそこにいた。
暑苦しい空気の流れの煩い教室で、入らないエアコンのスイッチを睨み一人唸りを上げている。
「さっきまで雨だったんだ、仕方ねぇだろ」
「でもまだ初夏なのに…」
「慈郎知ってるか?初夏には梅雨も入るんだぞ」
「…俺はそーゆー変えようのない現実が大嫌いだっ!」
「あーはいはい」
慈郎の言葉に、跡部はまた適当に返事をしながら開いていたパソコンの電源を落とした。
画面が暗くなり間も無く、折り畳んで鞄にしまう。
どうやら作業が一通り済んだようで、椅子の音を小さく立てながら立ち上がった。
慈郎はスイッチの前で未だ唸りを上げている。
なんとなくそのピッタリ後ろまで来た跡部は、小さないたずらを思い付き少し身を屈めた。
そのまま慈郎の耳元に唇を寄せ、優しく息を吹きかけてみる。
「はぁ、」
「…………跡部…?」
「はぁ、はぁ、」
「…………あの…」
「はぁ、はぁ、はぁ」
「…ちょっ、あの、気持ち悪いんだけど…」
慈郎が耳から首元にかけてを手で覆い振り返る。
その淡白な反応に、跡部は「あ、そう」とだけ言って、慈郎の唇に自分の唇を押し当てた。
その動作は実に決まりきった動作のようで、全く無駄がない。
あたかも、残り少ない牛乳でも飲むか、と牛乳パックを取り出すかのようにスムースに行われたキス。
慈郎は予想だにしなかったそれに驚き、目を大きく見開いたまま少し硬直してしまった。
そんな慈郎に跡部は一度吹き出して、「何驚いてんだ?」と言いながら額にも唇を押し当てる。
慈郎が慌てて何か言おうとしたらまた唇を塞ぎ、角度を変えてはまた塞ぎ、唇を舐めてはまた塞ぐ。
(一度に二度美味しいとはこういうことか)
キスの嵐に思わず冷静さを持った慈郎は、ふとその蒸し暑さに自分達が教室にいる事を思い出した。
いくら休日の学校と言えど、部活をしに来ている生徒もいれば先生だっている。
誰かに目撃される可能性は十分にあった。
「…あと、!」
「慈郎」
「ちょまっ…ん、待っ」
一気に焦りを感じた慈郎は、キスを迫る跡部の体を離そうと試みる。
しかし跡部はあまり離れてはくれなかった。
要は、力が強い。
筋肉がある。
筋肉バカ。
「こらこらこら、ちょ、跡部待てって」
「んだよ、やらせろよー」
「おまっ酔ってんの?やめろってば跡部こらっ」
「ほら、おとなしくしろ」
小さな押し問答。
最初に跡部が軽く慈郎から離され、負けじと跡部が壁に慈郎を押し付け、更に慈郎が、更に跡部が。
どことなく二人の動作が相撲に似てきたところで、やっと慈郎が焦りの原因を伝えた。
「おい、ここ教室っ」
「誰も見ちゃいねぇよ」
「むっ、…いやっこーゆー時は必ず誰かが何処かで、んっ、…見てるっんん」
「だったら責任とってやる」
「どうやってだよっ」
慈郎の言葉に跡部の動きがピタリと止んだ。
そのあまりにあっさりとした引き下がりに違和感を感じ、慈郎は跡部を見上げる。
視線の先には跡部の真摯な瞳が待っていた。
流石の慈郎もこれにはドキドキする。
何故なら慈郎は跡部に恋をしているからだった。
跡部がどれだけ横暴で強引でも、慈郎は跡部が好きなのだ。
蒸し暑いはずの空気が、たったその一瞬間だけピリリと緊張したのを慈郎は感じた。
「…あと」
「…慈郎…、愛して」
「ちょストップ!」
「…………慈郎、愛して」
「だからストップだってば!」
跡部が言おうとする言葉の続きを、慈郎は強引に止めた。
恥ずかしすぎて嬉しすぎて、真面目に聞く事ができないからだった。
聞きたいのは山々だが、聞くに聞けれないというもどかしい気持ちは、胸中で優しい感情になる。
胸の内が、朝の妹の発言でふわりとしたのとは違う温かさでくすぐったくなった。
やっぱり慈郎は跡部に恋をしている。
「跡部、聞かなくても分かるから、無意味に恥ずかしい事言うなよ」
「無意味だ?バーカ、意味大有りだっつぅの」
「判ってるって、恋愛は一人じゃできねーもんな」
「そうだ。恋愛は俺とお前でするもんだ」
跡部が鼻で笑いながら慈郎の頬に手を添える。
片方の手は壁に密着しており、逃げ場はないぞ、と言っているようだ。
慈郎は悔しそうに恥ずかしそうにしながら、それでも抵抗はしなかった。
親指がふっくらした下唇をなぞり、そのままそっと、キスをする。
角度を変えてまた、もう一度、もっと優しく、もっと深く、愛を込めて。
「………跡部ってさ」
「あ?」
「変態だろ」
「テメェ…」
跡部がイラッとしてキスをした。
噛み付くようなキスを。
「耳元ではぁはぁ言うし」
「おもしれぇと思ったんだよ」
「電車内でセクハラされる女子高生の気持ちが判っちまったじゃねぇか」
「そりゃよかったな」
またキスを。
今度は笑いを堪えながら。
「それに、キス魔だしっ」
「そんなのお前が好きだからだ」
「………判ってるって…」
また、キスを。
幸せを沢山込めたキスを。
(耳元ではぁはぁ言われるのは嫌だけど、キスは嫌じゃない)
一度に二度美味しいとはこうゆうことか。
蒸し暑い休日の学校で、跡部に身を委ねながら慈郎はそっと目を閉じた。
終
2007.05.17.
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