「あ、」
「ん?」
「傘、忘れた」
「……またか」
梅雨の季節がきた。
ということは、いつも通り、毎年の恒例行事が始まった。
名付けて、ジローの雨乞い大作戦。
「ジロー、いい加減にしなさい」
「違うの、俺の家には傘がないの」
「嘘ばっかり」
「う…嘘じゃ、ないニョロ…」
「あ、怪しい!」
首だけ横に振って、ニョロ、ニョロ、ニョロ。
愛しいジローは今日はミミズの子。
「…ジロー」
「ぅ…」
少し睨みをきかせてジッと見つめると、小さくむむ、と言って怯む。
毎年毎年俺に傘を借りてばかりなジロー。
たまには自分で持ってきなさい!
(今日こそは少し説教だ!)
ジローは、未だ鋭い俺の視線におどおどびくびく。
「おおお、お願いあとべ…」
ジローのしゅんとした表情、うなだれた肩と首。
時折俺の表情を確認する甘えたな視線。
それらは堅い堅い俺の決意をいとも簡単にぐらぐら緩ませた。
抜けそうで抜けない歯みたいに、とても不安定。
(ジローの願いは全て叶えてあげたいけど…)
でも、でも……でも…。
「……仕方ないな…」
「やったー!」
やっぱり俺は、結局ジローに甘いのだ。
二人で肩を並べて雨の世界をザーザーザー。
雨は大粒、槍のよう。
地面に叩き付けられては小さく散る。
自害大好き雨粒くんは、少しばかり嫌われものだ。
「あのさ」
「うん?」
「傘をさ」
「うん」
「逆にして、雨を溜めたらどうなるかな」
「……溜ると思うよ」
「ちがうー」
いつも通り、突如繰り出す謎な発言はもはやジローの証になってしまった。
しかし、傘の中に雨を溜めてどうするんだろう。
俺には想像しがたい。
「ジローはどうなってほしいの?」
「例えば…雨水が甘くなるとか…」
「…飲むの?」
「…ちょっとためらう」
お互い目を見て笑いあう。
夢があっていいね、愛しい愛しいジロー。
それでこそジロー、
君はそうでなくちゃ。
「他には?」
「んー、淡いピンク色になるとか」
「乳白色?」
「うん」
「いいな、それ」
「でしょ?」
笑顔をにこりと見せ、粘着質な空気を裂いてジローの手が
俺の傘を持つ手に重なる。
少し高めの体温がぐっと伝わり、俺の体温も上がった。
それは俺の心の中にある、膨張をし続ける恋心の仕業。
ジローは笑顔のまま傘を前に、流れるように弧を描き。
ぽつり、ぽつり、ザアザアザア…
ジローの笑顔に見惚れている間に、体はいつしか雨水の槍を受けていた。
「…ばか、これじゃ傘の意味、ないだろ」
「へへへ」
先ほど提案したとおりの事が実際にジローの手で起こされている。
雨が少しずつ傘の底に溜まってゆく。
雨は何食わぬ顔で二人をどんどん濡らした。
酷いどしゃ降り、もう乾いてる部分はないんじゃないかと錯覚。
生暖かい雨の向こう数十センチ先の世界、麗しく彩る瞳に
抗うすべなどない、全てが奪われるまで。
「…服も体も、濡れちゃったじゃねぇか」
「あれ、もうずっと前からびしょびしょでしょ?」
「?」
「梅雨の雨が街を濡らすよりも、もっともっと前から」
ああ、そうだったね。
ずっと前から、愛で心も体もびしょびしょだ。
君とならずっと雨に打たれてもいいと思う。
(それが愛の雨ならことさら)
二人を濡らす雨はまだ止むことを知らない。
終
2006.07.04.
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