11: 海








ゆらゆら揺れる意識の中で

ふと思った。


(跡部もいつか、好きな人ができるのかな)


って。













「、起きたのか」


寝起き一番に聞こえてきたのはいつも通りの優しくて雄大な声。

少し低いその声に優しさが交じると、とても落ち着くサウンドになるのはなんでだろ。


重たい瞼を押し上げて、だるい首の筋肉を使って斜め右上を見ると
とても優しい顔をした美しい人が俺を見つめていた。

視線があっただけで、綺麗すぎて胸がぐっと重くなる。


お恥ずかしながらオレは

この声が
この表情が


このうえなく大好きだった。








「…どのくらい寝てた…?」


「そうだな…10時に寝始めて今14時だから…4時間だな」

「ん、絶好調だ…」


見つめすぎると泣いてしまうから視線をそらして自分の睡眠時間を確認。

4時間って、なんだかいつもより長い。


今日もよく寝たな。


微妙な空腹感はあるけど
よく感覚が判らなくて

いつも、まぁいっか、て思ってしまう。


ガタンと音がして
オレの頭が揺れる
跡部の頭も揺れる

そっか、オレたち電車に乗ってたんだよね。

電車はいつまでも揺れると止まるを繰り返す一方だ。


「…あとべ、暇じゃなかった?」

「本読んでたから平気だったよ」


跡部が読みかけの本を閉じた。


電車に乗り込む前はまだ最初の方だったのにな。
綺麗な群青色のハードカバーの本。
洋書なのか、タイトルが金のイタリック体で書かれてる。


4時間読んでたらその分厚い本も、さすがにもう終わりそうだ。


きっといっぱい目が疲れてるんじゃないかな、跡部。

そう言えば今、2時って、きっとお腹もいっぱい空いてる。


「そっか………あ、乗り換え…」


ぼんやりそんな事を考えていたら気付いた。

鈍行電車に乗ってるのに、乗り換えなしで4時間って事は。


「……オレは…馬鹿だ…」


どうやら完璧に寝過ごしていた。


オレは両方のこめかみを押さえるように頭を手で挟んで悔やんだ。

自分は本当に馬鹿だ。
どうして起きなかったのか。

世界一の馬鹿決定戦を開催したら
オレは今きっとチャンピオンに輝けるくらい馬鹿だ。


「…あとべ……ごめんなさい…」


オレは跡部に謝った。

昨日一緒に水族館に行こうって言い出したのはオレなのに。


「ジロー…」


跡部はオレの名前を呼ぶと
体をそっと、壊れものを扱うようにそっと

優しく包んでくれた。


オレの肺に、跡部の優しい香りがすーっと入っていく。


優しく背中をポンポンと叩かれたから

(跡部は本当に優しくて暖かくて落ち着くな)

て、再確認せざるを得なかった。


跡部の体温と、リズム良く刻む心音は、それだけでオレを落ち着かせてくれる。


「…今日は適当に、行き着いた所に行こうか」


跡部がふいにそう口にして、オレは焦る。

跡部との体の間に数センチの距離を作ってからオレは言った。


「…でも、オレの我侭で…」

「水族館はまた今度行こうよ」


きっと、今更水族館に向けて電車で戻ったとしても、
おそらく全部は見て回れないくらい遅い時間になるんだろうけど。


オレの思いつきはいつも跡部に迷惑をかけてばかりだ。


でも跡部が
優しい口調でそう言うから

跡部が痛いぐらい優しいから


オレは頷くことしかできない。


「…うん」

「じゃあ決まり」






オレは

ただ単に、跡部に光る綺麗な水を見て欲しかった。

跡部は最近忙しくて疲れてたみたいだから、疲れをとりたかった。

水槽内の水を揺らして水槽の底にまで光が届かせることで、
自然の海に最も近い水環境で人気の出たあの綺麗な水族館に


ペールターコイズとペイルグリーンの融合。
光のマジック。


その世界へ

跡部を連れていきたかったのに。




いつも空回り。







「…オレは馬鹿…」

「馬鹿じゃないよ」

「馬鹿だよ…」

「なら俺も馬鹿だ」

「あとべは馬鹿じゃない」

「じゃあジローも馬鹿じゃない」


跡部は右手でオレの前髪を梳くように後ろに幾度か流して、
オレを抱きしめるのをゆっくりとした動きで止めた。

その腕の温もりが、オレの体から急速に去っていく。

きっともうすぐ消えてなくなってしまう。


そう思うと、もう一度跡部の胸に抱かれたいと思った。





勿論、言わないし、言えないけど。





「……オレ海が見たいな…」
(跡部もいつか、好きな人ができるのかな)

「行き着く所が海だといいな」

「うん」
(その大きな胸に、誰かを閉じこめる日が来るのかな)


来なければいい

ずっと来なければいいよ


跡部が誰かを好きになるのも
誰かが跡部を好きになるのも

来なければいいよ


その雄大な青を好きなのは

一生涯オレだけでいい


その逞しい腕に閉じこめられるのは

オレ以外許さない




「あとべ」

「何?」

「あと2つ行ったら、電車を降りよう」

「わかった」


跡部の綺麗な青が優しく揺れた。


跡部のその優しい青は、海とお空を吸収した色。

コーンフラウアーに近い、でもちょっと違う綺麗な色。

光の当たり具合によっては、ダジャーブルーにもミーディアムターコイズにもなる綺麗な色。




海は


跡部が生まれた所。







(一生涯来なければいいよ)







オレはそう思いながら

それでも思いを伝えられない自分に


心が痛く重くなった。












夢の海まであと1駅。














終


2006.04.11.





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