「負けんなよ」
コートに入る前、ジローは俺にそう言った。
まっすぐこちらを見るその視線は何か大事な事を伝える前のように凛と強い。
全く動いていなかったその体からは彼独特の甘い体臭があまりしないように思う。
まるで干した布団みたいに、太陽の光を体一杯に吸収しているような印象を受けた。
彼が口を開く。
「氷帝の部長が負けんな」
「……プレッシャー、かけるんだな」
あたりにも彼らしい微妙な応援の仕方に、思わず笑みがこぼれて小さく笑ってしまう。
俺が笑ったから、真面目に言った分彼は面白くない、という顔をしていた。
「アトベ」
彼は片足を塀に乗せたかと思うと、上体を一気に俺の方へ持ってきた。
顔が一気に近づく。
ぼやけてほとんど見えないくらいに。
「アトベの最強の技、あの生意気な一年に食らわしてやれ」
顔が20cm程離れてから、彼は一言そう言った。
視線は依然、鋭いままだ。
「………お前…こんな所で…」
何人人がいると思ってんだ、バカ。
「絶対負けんな」
「………」
「負けたらアトベ、坊主な」
「…………」
彼は一人で勝手に約束して、塀から足を離し俺からも離れていく。
俺はそんな彼を見つめていた。
「………ジローッ」
ふいに声をかけると普通の反応速度よりやや遅く、彼は振り向いた。
俺と彼の距離はおよそ5mくらいだろうか。
「…何」
「お前誰に向かって言ってんだよ」
「…………」
「コートは俺の舞台なんだぜ?」
彼は顔だけ振り向いていたのを止め、体全体を俺の方に向けた。
彼の視線は。
「舞台に主役は2人はいらねぇ。俺1人だけだ」
「………おぅ、頑張れ」
彼はそう言うと再び前を向き直し、歩いた。
指定の位置まで行って座るまでに、俺もコートへ体を向けていた。
「負けるわけねぇだろ、バーカ」
俺は試合前に必勝のお守りをもらったのだから。
「行くぜ」
さあ、今その輝くコートへ
一歩。
終
2006.03.04.
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